Jリーグが発足当時の懐かしい外国人選手を振り返る
1990年代前半にプロサッカーリーグ「Jリーグ」が発足した当初、日本はまだバブル経済が完全に崩壊したとは言えない時期でした。
そんな中、親会社が巨額のマネーを用意して世界的な名プレーヤーを次々に獲得していた時期があった事で知られます。
当時の補強例で最も成功した例と言えるのが、1990年のサッカーワールドカップにて西ドイツの優勝に大きくしたピエール・リトバルスキーです。1992-93シーズンまでドイツのブンデスリーガで大活躍していた彼はシーズン終了後に日本のジェフ市原(現ジェフ千葉)に入団しました。すると、衰え知らずのスーパープレーを毎試合見せ続け、特に世界トップレベルの見事なFKは人々の心に深く刻まれています。
一方、リトバルスキー同様に世界のトッププレーヤーで、現役バリバリの状態で来日したもののフィットしなかったのが元イングランド代表のG・リネカーです。
1986年のワールドカップ得点王である彼は、4年後のワールドカップでも引き続き大活躍していました。1991-92シーズンにはトッテナムにて驚異的なペースで得点を量産していたため、入団した名古屋グランパスのサポーター達は彼に大きな期待を寄せます。
しかし、相次ぐケガなど様々な問題により全く活躍する事ができず、日本での2年間のプレーを経て1994年に引退してしまいました。
ワールドカップ得点王に輝いた経験がある外国人選手というと、元イタリア代表のスキラッチも有名です。1990年のワールドカップで3位決定戦にてリネカー率いるイングランド代表と対戦した彼は、その試合でのゴールによって単独得点王に輝きました。1993-94シーズンを終えてジュビロ磐田に加入すると、2年目には完全にフィットして福田正博と得点王争いをした事で知られます。